はじめに


■仁淀茶の歴史

平安時代

823年、弘法大師・空海が土佐の国・高岡郡(現在の仁淀川流域を含む)に茶の種子を持ち込み、各寺で喫茶法を授けたのが始まりと言われています。

 

室町時代

高岡郡の領主が茶を京の禅僧に送っています。すでにこの時代から高岡郡には「六蔵茶」と名づけられた銘柄茶があり、土佐ばかりでなく京都・大阪でも珍重されていました。 

安土桃山時代

高岡郡の山道に多くの「茶堂」が建てられています。茶堂では村人が交代で通行人に茶等の接待をしていました。

江戸時代

土佐初代藩主が国中に茶の木などを新植させる文書を出し、その後の藩主も財収増加の手立てとして「山間部の空き地にさらに茶等を育成せよ」と発令しました。

藩はお茶を専売制とし、一部の商人に独占売買させていました。藩外への茶の移出は課税されていましたが、四国山地の山越えする揚合に限り無税となっていました。

池川集落、名野川集落(両集落とも現仁淀川町)の茶は上質で、江戸中期には藩用茶にあてられました。 


■仁淀茶のこれから

いま

現在、日本で生産されているお茶は静岡がその4割を占め、続いて鹿児島3割、三重、宮崎、京都、福岡…と続いています。高知のシェアはわずか0.27%。仁淀川流域に限れば全国の0.18%でしかありません。狭隘で急傾斜な茶栽培はコストで太刀打ちできないのです。

人口の急減とともに高齢化も止めようがありません。

手軽なペットボトルのお茶が普及し、お茶を急須で淹れて飲む人は少なくなっています。必然、急須で淹れる茶葉の需要は急減し、価格は急落しました。

それでも「もったいない」と作りつづけている人がいます。まれにですが若い人も「作ってみよう」と頑張っています。ほそぼそとですがみんなで楽しく続けています。

幸い土地条件には恵まれ、長い歴史で蓄積された栽培・製茶技術も受け継がれています。

おいしく飲んでいただけるお茶を作っている自負はあります。 

これから

私たちのことを少しでも知っていただくためにこのサイトを立ち上げました。

みなさまが「たまには急須で淹れたお茶を飲んでみよう」と思ったとき、「へぇ、こんなところでもお茶を作っているんだ」とながめていただければ幸いです。



ギャラリー


仁淀川流域茶振興協議会とは

『県内最大の茶産地である仁淀川流域の茶生産を振興するために、生産体制の整備や流域茶のプランド化を図り、安全・安心で美味しい仁淀川流域茶の販売戦略を確立するとともに、生産者と関係団体が一体となって仁淀川流域製品茶の消費拡大等に取り組むことで茶生産農家の所得の向上を図ることを目的』(規約より)に、2009年1月発足しました。

 

メンバー

高北茶業研究会
  • 岡林製茶
  • 武石製茶
  • 藤岡製茶
  • 霧山茶業組合
  • 山本製茶
 池川茶業研究会
  • 池川茶業組合
  • 野村製茶(野村美智夫)
  • 渡辺製茶
  • 野村製茶(野村安夫)
  • 黒川製茶
  • 池内製茶
高知県農業協同組合
  • 仁淀支所茶生産部
  • 吾川支所茶生産部
  • 佐川支所茶生産部
町村役場
  • 仁淀川町
  • 越知町
  • 佐川町
  • 日高村
  • いの町(吾北支所)
高知県
  • 茶業試験場
  • 高吾農業改良普及所


スケジュール

LOG

  • 2019年2月18日

沢渡茶生産組合総会

  • 2019年1月29日

 仁淀川流域茶研修会

  • 2018年9月8日

日本茶AWARD2018で「霧の極」(池川茶業組合)がファインプロダクト賞を受賞。